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おたく的なことをちまちまと綴るブログです。
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キミノさんが「すごく……きざみ君です……」とか意味不明のことを言いながら突然スカイプに貼ってきたのでうっかり夜半にやってしまったサイコパス診断。
やってしまったっていうかまあ、私は正常も正常な人間なので軍人さんとこで目と左胸JK眼帯と胸当てカッコヨスワロスと思った以外は全部外れてましたが、それはサイコパスの思考と言うよりは救いようのないOTK思考じゃないのかとかうんとかかんとか。でもエレベーターの奴思いつく人は凄い優秀なストーリーテラーだと思うの。その他は葬式のとサンタさんのは有名ですよね。

サイコパスがこの質問をされてどう思う、って言うのは別として、物書きの視点からこの診断を見てみると、こう言う形で物語の結果だけが提示されていた場合、そこに至る「物語」自体を組み立てる能力ってのはある種正常より異常よりじゃないと物語を語る側の人間にはなれないのじゃないかなと思う。だって誰もが思いつく回答というのは言ってしまえばテンプレそのもので、それはどこかで見た汎用性のある物語を後生大事に脳みそに仕舞っておいて思考を停止しているのと同じことだからなあ。でも異常じゃいけない。自然にその結末に辿り着けてしまう非凡な脳みそじゃ、万人にその思考を伝達できないという点で物語は語れない。

しかしこういう思考を辿る診断ゲームが流行るようなら日本まだ大丈夫かもってちょっと思いました。
ちょいと前に、レイトン教授で一流メーカーにのし上がったかのレベルファイブが出した「スローンとマクヘールの謎の物語(公式サイト→)」ってソフトなんか、正に「冒頭と結末の間にあった物語を推測する」ゲームなんですが、こういうのをやって面白いと思う=物語を想像することに意義を感じているってことだからなあ。
ぶっちゃけレイトン教授始め頭の体操とか学習系のゲームはゲーム界を失墜させた忌むべき存在だと思ってる(もうちょっと人目憚った発言しろし)(レイトン教授はまだそれが主眼になってないだけマシ)んですが、このスローンとマクヘールのゲームはゲームの一番単純な、あるべき姿をそのまま顕現しているように思えました。物語を想像する。他人の思考を慮る。そういう素朴な体験が出来るゲームって、最近少ないからなあ。想像するとかいつの時代の言葉ですか?ってくらい、最近のゲームには夢がない。
ドラクエにすらコギャル出てくるしな。現代文学もそうだけど、世相を映すだけなら創作物に何の意味があるんだろう?

いつものことですが話がそれました。診断の話に戻りますが、そういうぶっ飛び思考でぶっ飛んだ結末に自然に辿り着ける人間がある一面で羨ましいのは事実。しかし多分彼らにはその思考をトレースして万人に分かるように記録することはきっと、出来ない。だから“ほぼ”正常な人間が、“ほぼ”正常な思考で異常な結末の道筋に光を当てなきゃいけない。そうしないと物語にはならない。それは神の手かって、どっかの本でこんな台詞出てきたような気がするなあ。笑
物語が書ける人は非凡な人って言うイメージありますけど、逆だと思います。
平凡だからこそ平凡な言葉で非凡な思考をトレース出来る。それはある一定の高さにある高邁なものを無理矢理目線の高さまで引き摺り下ろす下劣な行為かも知れませんけれども。

これまたいつものことですが話にオチが付いてるのかどうか良くわからない。
とりあえず刻命あいつ早く酷い目にあわねーかな☆ミ
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