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おたく的なことをちまちまと綴るブログです。
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なんと言うか、昨日最後のバイト出勤日だったんだけれども、休憩室で他のアトラクションの方々が超えげつない言葉で件の酒井氏を罵ってて気分が悪くなってしまいました。
ほんとなんて言うんだろうなあ、今まで興味もなかった癖にちょっとつけ込む隙が出来るとここぞとばかりに袋叩きにする人間の暗い面っていうか、良く自分が迷惑こうむった訳でもないのに正義の使者みたいな素振りでああまで口汚く糾弾できるよなあ。訳わからん。マイケルの時もそうだったけど、心の傷に耐え兼ねて犯罪、とはいっても他者を傷つける方法を選ばず自分の身体を痛めつける方を選択をした人々を糾弾する権利を皆持ってる心算なんだろうか。
いつも心にマニュアルを、行動規範は外部で定める、皆やってるから俺悪くない、そんな所謂シゾフレ人間のことは個人的に色々調べたから今更そんな下衆な行為を不思議がるでもないですけど、昨今のJポップで好まれる「私は辛い誰も気付いてくれないけど辛い本当に辛い辛くて死にそうだけどがんばる」調の曲をこう言った類の人間が聴いて感動したとか言ってると思うとじんましん出ます。自分の痛みにだけ過敏なんですよね。しかもその痛みって、大体普段そういう人種が糾弾する対象にしている人々の痛みとは比べものにならないほど軽い。

現代日本で問題視されている事柄のほとんどが、他者を慮れない、要するに想像力の欠如っていうところに着地すると思ってる訳なんですが、それと共感の世代なんていう一件相容れない言葉はここで止揚されるんだなあと何となく悟りました。ここって言うのは、自分の痛みにだけ過敏ってことですけど。
物語を他者のものとして他者の思考を追体験して涙を流せる人は多分もう若い世代には少なくなってるんじゃないかなと思います。だから世界の中心で愛を叫ぶだとか恋空だとかが流行る。自分に置き換えて、「自分がこうなったら悲しい」を分かりやすく疑似体験できるから。逆にクライムノベルとか、主人公の思考が捻くれていてとても自分に置き換えられない物語なんかは流行らない。主人公の行動規範が分からないからです。「共感できるもの」が至上のもので、分からないものは徹底的に排除しようとする。薬に手を出す人の気持ちが分からない。だって、自分は薬なんて絶対やらないから。そして薬は悪いものである。だってニュースでそういってるし周りの皆もそういってるから。だから薬やってる人は悪く言っていいんだ。惚れ惚れするくらい分かりやすくて、おぞましい思考回路です。

脳化社会なんて言われる反面、脳はどんどん退化してると思います。
共感の世代には、絶対に文学は創れない。理解の範囲外、共感の外に飛び出せる人間を育てていかない限り遅かれ早かれ日本人は自滅すると思います。
と、そんなことをラスト出勤日に「いこさんやめないで~><」って言う同僚達の心温まるメッセージを読みつつタバコ吸いつつ考えてました。
きっとそんな優しい同僚も私が薬とかやり始めたら手の平返したように糾弾するんだろうなあ。いや信じてない訳じゃないけど人とのつながりなんて本当にもろいものですよ。だから失くしたくないものは自分から切れないように紙縒り続けるしかないわけです。泣けてくるくらい私は人間が信じられませんけど、まだ自分が理性で立っていられる内は近くに居てくれる人たちは失くさないで済む。そう思える程度には、人間が好きです。どうにもならない話だな。ほんとにどうにもならない。
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