忍者ブログ
おたく的なことをちまちまと綴るブログです。
[257] [256] [255] [254] [253] [252] [251] [250] [249] [248] [247]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

f0009381_1191062.jpg










母は言いました
“ストーカーよ”
“呪われた永遠の囚人よ”
“ろくな子供は生まれない”って










大学近くの名画座で見てきましたタルコフスキーの「ストーカー」。SFですね。
ソ連時代の監督の作品って何だかキレたような内容が多い気がするんですがこれも割とご多分に漏れず飛んだ内容でした。
概要は、隕石が突如落下したエリアに軍隊を派遣して様子を調べに行ったところ誰一人帰って来ない。
国はそのエリアを危険と判断して立ち入り禁止区域に指定するが、“ゾーン”と呼ばれるそのエリアには「入れば何でも願いが叶う」と言われている部屋があり……ってな感じです。
“ゾーン”とは神の領域であり、迂闊に進めば命を取られてしまうのでその部屋に辿り着くためには案内人が必要。その案内人の名称が“ストーカー”と言う訳です。
ストーカーと言うのはストークする人、即ち忍び寄る人と言う意味ですが、元々は疫病や不幸などを主語に置くことが多かったそうです。さしずめこの映画の“ストーカー”とは、部屋の中にある奇跡を求めてやってくる他人の“不幸”に忍び寄るハイエナと言ったところでしょうかね。主人公自体が不幸の塊なんで、不幸が不幸に忍び寄ると言う優越感めいた歪んだものを感じますがまあそれはともかく。
素人目に冗長なシーンがかなりあって、三時間弱の映画なんですがカットして二時間に纏めたらどうかしらとちょっと思いましたが画面は神秘的で奇麗だしネタも良いし総合的には見て良かった。

以下ネタバレとか喋りますがあんまり気にしなくても大丈夫と思います。笑
結局“ゾーン”と言うのが本当に神の領域であったのかそうでなかったのか、“部屋”と言うのが本当に願いをかなえる力をもっていたのか否か、最後まで結局わからなかったのですがただ一つ分かったのは奇跡の対価はとてつもなく重いということ。
ラストでベートーヴェンの第九に合わせて、主人公の娘(足が不自由で歩けない)が空ろな瞳で机の上のコップをサイコキネシスのような力で動かすシーンがあるんですが、彼女は奇跡の力を使えても歩けない。空ろな瞳には幸せの欠片も見えません。このシーンと照らし合わせた時に、奇跡の代名詞であった“ゾーン”の“部屋”がどのような意味を持つのか、それがこの映画の肝なんじゃないかなあと勝手に理解してます。

登場人物が劇中に喋る台詞に関しては、戦前の作家詩人が散々書いたことの焼き直しなので新鮮味もストーリー上の必要性も感じませんでした。聞き流して良い、っていうか途中寝るのが正しいこの映画の楽しみ方なんじゃないかなあと若干思います。失礼ですけれども。笑
しかし日本を代表するアニメーション監督がこぞって絶賛している映画ですので、一回は見ても良いんじゃないかなと思います。
さて来週は伊坂幸太郎特集なのでまた出掛けてこようと思います^^
PR
Powered by 忍者ブログ [PR]
ブログ内検索