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おたく的なことをちまちまと綴るブログです。
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何だか折角同人サイトにくっつけてるのに同人的な話題の少ないブログですみません。
あっでもめーちゃんお誕生日ですってね!うわあいなんかめでたいな!今日はめーちゃんの動画を見る日にしたいと思います。……え?今日じゃない?……ん?
\(^o^)/

健全な精神は健全な肉体に宿ると言う格言があるので、実践しようと思って兼ねてから通院を考えていた整形外科に行って来たんですが、物凄い曲がりよう(骨)だったようで、「なにをどうしたら、こうなるの?」と逆に聞かれる始末でした\(^o^)/そりゃ調子も悪いか、とレントゲン見て物凄く頷いてしまった。コルセットデビューおめでとう俺。凄い痛い注射打たれたのに全然直らない辺りに業の深さを感じる。清廉潔白な男子でホモ妄想してた業か。そうだとしてもその場合謝るが残念ながらやめられない。

と、そんな残念な話はどうでもいいんですが、とか逆接接続助詞使いつつまた残念な話ですが、今日冬コミの当落発表が郵送で届いて再び凹みました。……うん。すみません、実はモチベーションだだ下がりしてます。委託して貰えるー!とか言って喜んでましたが良く良く考えると図々しいし既刊だけ委託とかねーよ\(^o^)/なので今回はボカロジャンルに関することは全部見送ろうと思います、応援して下さった方ありがとうございました、すみません。何より委託してくれるって言ってくれた神達に頭が上がらないよ……後でちゃんとご挨拶に伺います……ほんっごめんなさい。
しかし何か同人ゲームと日付違うらしくてビックリしました。ジャンルコード同じでも日付違うことってあるんだなあ……

新刊のテーマはもう決まってるんですよね。モチベーションだだ下がりとか言いつつ考えることは新刊の内容ばっかりってこれ如何に。侵食されている。
友人と遺伝子について議論したら物凄く面白い仮説が立ったので、それを使って書いてみようかなーと思ってます。友人は生きると言うことは遺伝子が人間に課した呪いだと言う風に結論付けていた(まあ私も少しそう思う)のですが、そうだとするとその円環的な呪いから解き放たれ祝福を受けた存在として、でも一次的には人間の支配から逃れられない単なる無機的存在として、二つの側面を持って生まれたものと言う設定で書いてみたいなあと。まあ、そう言う設定の場合ロボットものだと何でも当てはまることになるのでこのジャンルでしか書けないと言う特別性は薄れてしまうかも知れないんですが、是非ボカロ、いやカイトのお話で表現してみたくて。
この際兼ねてからにゃっぽんとかでブツブツ言ってたようにミステリ仕立てにしてしまおうかと悶々しています。
考えてる時が一番楽しいなあガンダム!
あっガンダムと言えば00五話撮れてなかったのでそれも物凄く凹んでいます
うー……何故だ……何故なんだハレルヤどうしてそんなにテレビは私を嫌う……

そんな訳で以下「テレビ」の内包する問題について鋭く切り込んだ第43回乱歩賞受賞作「破線のマリス」の読書記録です。書いたら原稿だ。
ヴァルキリーは風呂場でとりあえずラスダンクリアして来て、改めて一周目の感想書きたいです。笑










最近本当色々ドン詰まりで、何かしないとマジで人間としてやばいと思ったんですが、だからと言ってゲームプレイをその「やること」に中てるのはいかんだろうと言う訳で乱歩賞受賞作品を読破してみようと思い立ちました。


dc521256.jpg










と言う訳で第43回受賞作「破線のマリス」、作者は野沢尚です。


「カメラは普通の人々にとって非日常そのものなんです。だとしたら、もともと真実からずれた映像に真実を求めることになんの意味があるんでしょう。映像が真実に近いか遠いかなんて、私たちにとっては大した問題じゃないんです。真実なのか嘘なのかさだかでない映像であろうと、それをどう使い、どう肉づけし、見る者の心を捉えられる形に変えて電波にのせるかということに、毎日最大限の工夫を凝らしているじゃないですか。真実なんてものが最初からありもしないのなら、誰かが魅力的で圧倒的な真実を作るしかないんです。冷静な判断能力を持った人間の手で」
「それは神の手か?」


破線って言うのはテレビ画面を構成している525本の線のこと。マリスと言うのは、普通に訳すと「悪意」ですが放送用語で「送り手側の意図的な作為(悪意)を含むもの」と言う意味があるそうです。
と言うことで「破線のマリス」で作為(悪意)を含んだテレビ報道って意味ですね。ヤラセとかそう言う。

面白かったです。一日で全部読んじゃうぐらい面白かった。
映像の持つ圧倒的な力に取り付かれた女性の番組編集者と、彼女自らの主観によってツギハギされ、元の素材映像とは違った意図を持たせられて放送されたテレビ報道の所為で人生の急坂を転がり落ちて行く男性の応酬で話は進んで行きます。冒頭でレイ・ブラッドベリの『華氏四五一度』の一文↓

テレビジョンは現実そのもので、直接的で、大きさを持っている。こう考えろと命令してくる。正しいことであるはずだ。そう思うと、正しいように思われてくる。あまりにもすばやく、あまりにも強引に結論を押しつけてくるので、誰もがそれに抗議している余裕はない。ばかばかしい、と言うのがせいぜいで。

が引用されているのですが、正しくこう言ったテレビ報道の内包する問題点に鋭く切り込んだ良作だと思います。テレビ報道について、視聴率競争だとか報道倫理だとか、そう言う表面的なところからもう一歩踏み込んで見ると怖ろしいくらいに深い闇が横たわっているんだなあとそら恐ろしくなりました。
善悪のコンパスを自分の中に数え切れないくらい持っているため一切反省しない「シゾフレ人間」なんてのも正直こう言う押し付けがましいテレビ報道を間に受け続けたが故の反作用のような気がします。テレビ、凄いけど怖いよ。
作中に「テレビ放送は万引き自由なコンビニに似ている」なんてフレーズが出てくるんですが、P-MODELの「崇めよ我はTVなり」を思い出しました。歌詞に「FREE!全てFREE!またはわずかなリスクだけ FREE!ただのFREE!ただし……」って箇所があるんですがその「ただし……」の部分が正しく万引き自由なコンビニが暗喩しているものだと。曰く、タダのものにはケチが付かない。それを店頭に出す店員にも罪の意識を植え付けない。視聴者とテレビの関係、引いては報道関係者とテレビの関係ってそう言うものだよなあと改めて気付いた。


ただ、面白かったし物凄く為になったけど、強いて言うなら文庫本裏側のあらすじ紹介には虚偽があります。
別に「フー&ホワイダニット」の話ではない。幾本も複雑に絡み合った事件の糸を解すことが本書の目的じゃないと思うので推理小説でもないです。ないと思います。ただ、この作品で扱われている事件の表面的な犯人を挙げることに意味はなくても、読了した後に事件の背後にのっぺりと影を落とす「テレビ」と言う存在が見える。それを犯人だと言うのならそうなのかも。
個人的には広義ではミステリだけどサスペンスって言った方がしっくり来る印象でした。テレビ報道で流れる映像は果たして虚偽なのか真実なのか、うーん、誰かと議論したくもあるなあ。何回も言うけど面白かったです。久々のヒット!
映画にもなっているそうで、機会があったら見てみたいです。

次は確か積んだ記憶のある「脳男」か、中学時代に挫折した「連鎖」か、「殺意の演奏」「アルキメデスは手を汚さない」辺りを読んでみようかなと思ってます。さあブックオフに相談だ。
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